西 正博(にし まさひろ) 洲本接骨院 院長
- 生年月日
- 昭和44年4月26日
- 出身地
- 宮崎県都城市
- 資格
- 柔道整復師 疲労回復協会認定会員 自律神経整体認定会員
- 家族構成
- 3人家族(妻・娘1人)
- 趣味
- 活字中毒なほど読書好き(最近は時代小説とファンタジー小説にはまっています)
- 性格
- 友人からは「常に何か考えていそうに見えるのに、実はぼーとしてるやつ」と言われています。
施術家を志したきっかけは?
背中の痛みと苦痛
私は中学の頃、吹奏楽部に所属し、毎日練習に明け暮れる生活をしていました。
ちょうど1年生の夏ぐらいから、だんだんと背中の痛みに悩まされ始めました。特に普段と違う生活をした覚えはありません。
痛みは徐々に強くなり、病院に行くと『脊柱側弯症』という背中が曲がる病気であることがわかりました。
それからは、評判の良い病院や接骨院に時間を見つけては通院しました。
病院では湿布薬をもらい、「様子をみてね」と言われ、接骨院では電気を当ててもらい、マッサージをしてくれました。
しかし、痛みは改善しませんでした。
痛みのために楽器を吹くことも苦痛になり、泣きながら先輩に湿布薬を貼ってもらったこともありました。
『2度とこの痛みから解放されないのではないか』と考え、絶望的な気分になったことを今でも覚えています。
I 先生との出会い
しかし、兄の紹介でI 先生に出会った世界が変わりました。
I 先生は、私の背中ではなく、足を触る治療をしてくれました。軽い刺激がトン・トンとするだけで、特に痛くも何ともありません。今までに経験したことのない治療でした。時間もほんの数分です。
なにをしているのだろう?何か変わったかな?と思いながらベットから立ち上がると驚きました。痛みが消えているのです!
あのときの衝撃は30年以上たった今でも、はっきりと覚えています。
あまりにびっくりして、I 先生にお願いして、治療見学をさせていただくと、足を触るだけで背中のゆがみがとれたり、腰痛が改善したりするのです。本当に驚きの連続でした。
もちろん私の痛みもその場ですべての痛みが解消されたわけではありませんが、『本物の技術』に触れることができ、痛みがなくなる可能性を感じました。
その後、進学を控えたときに、頭の中にはI 先生の治療が浮かんでいました。そして、『本物の治療家になろう』と決心したのです。
あのときの決心から、1993年に国家資格を取得し、2002年に洲本接骨院を開業しました。
常に患者様の症状を改善することを念頭に研鑽を続け、現在の無痛整体ができあがりました。開業して15年たちますが、今でも毎月いろいろなセミナーや研究会に参加し、技術を磨き続けています。
施術に対する思いを教えてください。
身体に痛みがあること。
こんなにつらいことはないと思います。
ギプスをしたり、松葉杖をついたり、見た目で痛そうと思えるものもあれば、見た目ではわからない、本人だけしかわからない痛みもあると思います。
自分はこんなに痛いのに!誰もわかってくれない.....
私自身が経験したことです。
だからこそ、私は、施術に対して・患者様に対して、真摯であろうと思います。患者様からすれば、時には耳の痛い話をするかもしれません。少しですが、痛みを伴う施術を我慢していただくこともあるかもしれません。笑顔ではなく、厳しい顔を向けるかもしれません。
1回1回の施術を常に真剣に・誠実に提供していきたいと思っています。
洲本接骨院に行ってみようかな?と考えている方に一言
淡路島の接骨院の数は、兵庫県でも1・2位の多さです(人口割合)
そんな中からこのページをご覧いただき、ご来院をいただけることは本当にうれしいことです。ありがとうございます。
洲本接骨院の施術は「気持ちよければいい」「今だけ何とかなればいい」というその場しのぎの施術ではありません。患者様自身が身体を根本から本気でよくしたいと思われたら、是非、洲本接骨院にお越しください。
あなたと二人三脚で改善していきましょう。
「年だから仕方がない」
「どこに行っても改善しなかったし」
「もしかして、これが普通かな?」
と思っているあなたこそ、洲本接骨院の施術を体験してほしいです。
ツライ・しんどい、そんな生活から解放されるように、洲本接骨院では全力でサポートします。
高津 侑希(たかつ ゆうき)
- 出身地
- 兵庫県洲本市
- 資格
- 柔道整復師 疲労回復協会認定会員
- 趣味
- 多趣味ですが、スニーカーやキャップなどの小物集め、ゲームや家電が大好きです。
施術家を目指すようになったのは?
小学3年生から高校3年生まで野球をしてきました。ろくに勉強もせず、野球に行って、帰って寝て、また野球の繰り返しでした。
そんな毎日の中、高校1年生と2年生の時に大きなケガをしました。顔の骨の骨折と右肘の脱臼でした。
ケガで思うように動かない体、したくてもできない野球、すごくつらかった事を覚えています。そして、ケガもなく、体を動かすことのできるのは、とても幸せな事だと分かりました。
選手として活動のできなかった期間はマネージャーのような仕事をさせてもらいました。ストレッチの指導やトレーニングメニューの考案、色々とさせていただきました。
そのなかで、選手として活躍できなくても、チームの役に立てる事がたくさんあることを知りました。
それから、自分と同じようにケガをして、満足のいくプレーができないそういった人の役に少しでも立てる仕事をしたいと思い、施術家を目指すようになりました。
専門学校~今に至るまで
高校を卒業し、専門学校へ入学。ここまでは軽快なステップで足を運んだのですが、それからが大変でした。
今まで全く勉強をしていなかったせいで、今まで聞いたことも見たこともない専門分野の授業についていくのがやっとでした。本当に勉強の習慣をつけるのは大事だと思い知らされました。
両親の愛ある一喝も受けながら、何とか無事に卒業し、国家試験にも合格しました。
そして、ついに施術家としてのスタート地点に立つことができたのです。
希望を持って、はじめて就職した接骨院はとても厳しい所でした。早朝から深夜まで忙しい毎日で、日付が変わってから帰ることも普通でした。
分院も複数あり、どこに行っても同じ技術を提供できると聞いていましたが、実際には違っていました。
師事する分院長によって、技術も指導方法もバラバラ。同じ技術を提供するどころか、分院ごとに技術格差が生じていたのです。
そんな環境での仕事のため、技術や知識が思うように吸収できないことが嫌でたまりませんでした。
開業する目標のためにも、一度地元に帰って修行をやり直そうと考えた時に洲本接骨院の存在を知りました。
はじめて見学に来た時に体験したのは、今まで学んできた技術が根底からひっくりかえされたような、今まで見たことも聞いたこともない技術で、まさに驚きの連続でした。
あのときの衝撃は今でも覚えています。
その日のうちに効果を体感できる技術、治療とはこれほど色々なものがあり、奥が深いものなのだと知りました。今は、この技術を自分のものにできるように、日々精進しています。
まだまだ、未熟ではありますが、少しでも皆様のお力になれるように頑張りたいと思います。
玉村 太一(たまむら たいち)
- 出身地
- 福井県
- 資格
- 柔道整復師
- 趣味
- ギター カメラ
- 好きな食べ物
- お寿司 そば
施術家を目指すようになったのは?
私は小学3年生から高校3年生までの10年間野球をしていました
高校では多くの怪我に悩まされ思うようにプレーが出来ませんでした
足首の捻挫、肩の肉離れ、野球肘など
私はその時初めて接骨院にお世話になりました。
当時怪我を繰り返し精神的にもダメージを負った私をサポートしてくれました。
部活の練習を抜けて接骨院に行くことが続く中、私はこの仕事に興味を持ちました。
高校3年生の夏に部活を引退し進路を決めるときに、大学への進学を勧める親の意見を押し切って、大阪の専門学校に行くことを決意しました。
専門学校~今に至るまで
無事、柔道整復師の資格を取得し、そのまま大阪の接骨院に就職しました
仕事も楽しく3年目には院長の経験もさせていただきました。
しかし、まだまだ経験の浅い私には治せない患者様がいっぱいで、
どうしたら良いだろう?・・と悩んでいました
そこで私はいろいろな治療院の動画を見て何か他の方法はないかと考えました
その時たまたま見ていたのが洲本接骨院のYouTubeでした
さらっと触れているだけに見えますが、みるみる患者様の体の動きが改善していく様子を見て、私は不思議でなりませんでした。
「よし、ココで勉強して治せる施術家になりたい!」と思い入社を決めました
中野 あゆみ(なかの あゆみ)
- 出身地
- 南あわじ市
- 趣味
- ウインドショッピング
- 誕生日
- 12月生まれ 射手座
- 好きな食べ物
- お寿司
- 最近はまっていること
- 子供が寝てからのドラマ鑑賞
- 入社
- 平成20年
患者様に一言
笑顔と元気をモットーに初心を忘れず、患者様のために頑張ります。
気軽にお声がけください。
榎本 有里子(えのもと ゆりこ)
- 出身地
- 南あわじ市
- 趣味
- 体を動かすこと
- 誕生日
- 2月生まれ 魚座
- 好きな食べ物
- 魚(焼き魚・煮魚・お刺身)
- 最近はまっていること
- スポーツ観戦(特に野球)
- 入社
- 平成31年
患者様に一言
まだまだ不慣れですが、笑顔を忘れず頑張りますのでよろしくお願いします。
お電話ありがとうございます、
洲本接骨院でございます。